(これからアストレア・レコードをメタ的な視点で振り返っていきます。言うまでもありませんが、アストレア・レコードを読んでからこの記事を読むことをオススメします。メタ的な視点までネタバレされた後に読んでもつまらないので……)
そしてもう一つ、これはあくまで私の感想なので、この解釈が正しいかどうかを知るのは大森藤ノ先生だけです。
「そういう考え方もあるんだなー」くらいの受け取り方でお読みください。考察というのはそういうものです。
アストレア・レコードにおける悪のカリスマ、邪神エレボスですが、その目的はオラリオを滅ぼし、下界に混沌をもたらすこと……ではなく、自分たち『絶対悪』が打倒され、下界に『正義』が示されることでした。
そんなエレボスは、ゼウスとヘラの最強の眷属たちが黒竜に敗北した────古代最強の英雄、傭兵王の方がまだ戦果を挙げていた────という事実に、「このままでは下界が終わる」と危機感を抱いていました。
歴史を重ね今に至る神時代の英雄よりも、『古代』の英雄の方が強かったなど冗談ではありません。退化していると思われても仕方のないことです。
神はみんな下界の住人が大好き。エレボスでも例外ではありません。正義に惑い、悪に揺れ、その時々で正邪どちらにもブレてしまう下界の住人は、正邪すら不変の神からすれば最高に愛おしいのでしょう。
下界が終わることを危惧したエレボスは、黒竜が完全に復活するまでに手を打たねばならないと考え、とある計画を立案します。
ゼウスとヘラの眷属の生き残り、ザルドとアルフィアを見つけ出し、この最強の二人を筆頭とした最強の悪の軍団を作り上げ、オラリオに攻め込むという計画です。
もし『悪』が勝てばオラリオは滅び、ダンジョンからモンスターが溢れ、下界は再び混沌の時代を迎える。
逆行した世界で、追い詰められた人類は『古代』を再演するように、傭兵王に並ぶほどの最強の英雄を生み出すでしょう。
黒竜を滅ぼす英雄は、ゼウスとヘラの眷属にはいませんでした。
神時代最強の冒険者たちですらその有様であった以上、神時代に希望を持つことはできない。未来に可能性を残すために今の全てを切り捨てる、『現実主義』の計画です。
しかしオラリオの冒険者たちにより、ザルドとアルフィアが、悪の軍団が退けられれば、それは神時代にまだ希望があることを意味します。
オラリオの冒険者はまだ強くなる、ゼウスとヘラの時代よりも更に強い冒険者が、『英雄』が生まれ、次は必ず黒竜を滅ぼすという『希望』が生まれます。
ですが、その新たな『英雄』すら黒竜に勝てないかもしれません。『希望』は所詮希望止まりです。
傭兵王という前例のある『古代』の方が、失敗のできない未来に賭けるには勝ちの目が大きいというものです。
そこで問われるのが『正義』です。ゼウスとヘラの眷属は強かった。しかし強いだけでは足りなかった。
下界を救う『英雄』は強いだけではなく、『正しく』なければいけない。
オラリオをそう導くために、死の七日間の初日、演説によって『悪』をわかりやすく標榜し、「我々を倒すならばお前たちは『正義』の側である」と示したのです。
邪神エレボスは、己が『絶対悪』としてオラリオに挑み、その自分に『強さ』ともう一つ、『正義』が示された時こそ、神時代の未来に賭けるに足ると考えました。
エレボスは『絶対悪』を名乗る『必要悪』となり、下界の未来のための礎になる道を選んだのです。
そして準備を整え、いざオラリオに乗り込むと、メチャクチャ面白い存在がいました。『正義』を掲げる【アストレア・ファミリア】です。
エレボスはウキウキです。【アストレア・ファミリア】が自分のお眼鏡に適う『正義』を示すことができるならば、下界を救う『英雄』、そのカギとなる片方の要素である『正義』は、揃ったも同然だからです。
一番未熟で、しかしだからこそ正義に眩い理想を抱くリューさんを、ここぞとばかりにいじめます。
(試すのが7割、趣味が3割くらいじゃないかなあの感じは……)
「神々の言葉で『すとーかー』というものでございますか?この変態め」
輝夜さんはドン引きです。そんな輝夜さんに「男など漏れなく獣で、倒錯している」と生娘呼ばわりまでサービスした激ヤバアドバイスをします。最高ですね。エレボスの一番好きなセリフです。
そして正邪決戦、ザルドはオッタルさんに敗れました。
オラリオ最強の『英雄』は神時代最強の眷属を上回り、エレボスの望む『強さ』が示されました。
(オッタルさんはザルドとの戦いで『建前』などどうでもいいと一蹴し、自分の無力を呪い、全霊を以ってザルドを超克することを望んでいる)
(ザルドとオッタルさんは『強さ』担当)
アルフィアは【アストレア・ファミリア】に敗れました。
「『古代』への回帰では正義が巡らない」
「正義は巡る」というアーディの言葉から答えを得たリューさんの回答は
(勿論リューさんは知る由もないですが)
オラリオを滅ぼすというやり方では正義が巡らず、黒竜を滅ぼす『英雄』に必要な正義は足りないままになるという主張でもありました。
『絶対悪』が掲げた下界救済の手段は、『正義の眷属たち』に否定されました。
エレボスの望む『正義』についての回答も、ここに示されました。
(アルフィアと【アストレア・ファミリア】が『正義』担当)
(ダンジョンから呼び寄せたデルピュネはオマケ。エレボスがオラリオを滅ぼすつもりであるという本気を示すために呼ばれただけで、『強さ』も『正義』も示された後では舞台装置未満でしかないので、消化試合でサクッと始末された。かなしいね)
邪神エレボスは大満足です。悪の軍団が勝ち、『古代』に回帰すれば時代が繰り返されるだけなので人類が滅ぶまではいかないですし、オラリオの冒険者たちが勝ち、神時代が続行する時は、『強さ』と『正義』が示された時です。
負けても勝っても下界の存続は保証されていたようなものです。
最後にアストレア様が問います。「エレボスにとっての正義とは」と。
解答は『理想』
2巻でエレボスがリューさんに突きつけたトロッコ問題、
『アスフィさんを救うか民衆を救うか』
結果的に有耶無耶になってしまったトロッコ問題でしたが、エレボスが求めた正答は『どちらも救う』です。
「選べるわけがない。どちらも救ってみせる」という回答こそ、エレボスが本当に望んでいる回答でした。
勿論そんなことは上手くいくはずがありません。二者択一だからです。
仮にあの場でリューさんがその答えを口にできていたとしても、エレボスは宣言通りアスフィさんも民衆も殺すことを指示するでしょう。そこには『強さ』が足りないから。
しかし『二者択一だから』なんて賢しい言葉はエレボスからすれば『本当の正義』とは程遠いのです。本当の正義の味方なら、どちらも救って当然なのです。
『どちらか』なんて賢しいことは考えず、愚かにも『どちらも』を選び取ることができる『正しさ』を、それを実行できるだけの『強さ』を示すことを望んでいることがわかるのが、あのシーンだと思います。
(アストレア・レコード3巻、10章、P425から答え合わせがあるので、この辺はまあ言うまでもないことですが)
(そんなエレボスなので、アストレア・レコード2巻で輝夜さんの答えを聞いた時は「マジでつまんねー」ってなっていました。『正義』を醒めた目で見ているが、本当はまだ『理想の正義』を諦めきれていないとか、神の目からすれば「隠しきれてないし実行に移す気もないどっちつかずの半端」なので……)
(「お前自身も納得できてないし未練タラタラならやめた方がいいよそれ」とアドバイスをしていますが、伝わりません。伝え方が下手だし聞き手は捻くれているので。かなしいね)
そして十年には満たない月日が流れ、一人の『英雄』がオラリオに誕生しました。『強さ』も、『正しさ』も完成には遠く、まさに『未完の少年』ではありました。
異端児編終盤にて、ヘルメス様が提示した『二者択一』、
「異端児を選び人類の敵になるか、人類を選び異端児を見捨てるか」
いつかのトロッコ問題を彷彿とさせる選択肢で、ベルくんは「どちらも諦めないこと」を選び取りました。
正確には『どちらも選ばないこと』を選びました。
アステリオスの乱入により、事態は誰も予想しなかった局面に向かいますが、アステリオスが生まれた原因は、ベルくんが己の内に秘めていた【英雄願望】を覚醒させた死闘にありました。
ベル・クラネルの【英雄願望】が巡り巡ってあの局面を引き起こし、二者択一の天秤を完全に破壊しました。
ベル・クラネルの望む『英雄』としての在り方(【英雄願望】)は、『どちらも』を選び取り、掴もうとする在り方なのです。